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アルツハイマーが向こうからやって来た
(すずかんの医療改革の今を知る 特別編 難病に挑む医師たちに聴く①)
アルツハイマー病
岩坪威・東京大学大学院医学系研究科教授 その4
(その1『アルツハイマー病、治療対象はどんどん早期に』は、こちら)
(その2『認知症の経済損失は既に5兆円。さらに迫る高齢化』は、こちら)
(その3『米国と同じ土俵に乗った多施設共同研究』は、こちら)
鈴木 ところで、岩坪先生がアルツハイマーをやろうと思ったきっかけって何ですか。
岩坪 これは偶然です。偶然。
私、元々は臨床神経内科医で、ここ東大の神経病理学教室へは病理診断学の勉強に来たのです。博士号の研究もしたいと思っていたら、当時の主任教授が突然膵臓がんで亡くなったんです。そこで、今京都の同志社大学で活躍されている井原康夫先生が東京都の老人研から帰任され、「何だ君まだいるのか、僕は研究チームのメンバー全員連れて来たからポジション空けて帰ってよ」って言われたのです。「まだ博士号をとってないのですが」と言ったら、「君は何できるの」と言われて、「標本を染めて見るくらいしかできませんけど」と答えざるを得ませんでした。そこから始まったわけです。
アルツハイマー病に興味を持って井原先生の門を叩いた訳ではなかったのです。向こうから来られた。井原先生は、当時ご自分でアルツハイマー脳に見つけたタウタンパクに非常に集中しておられまして、博士研究のテーマをくださいと頼んだら「自分はアルツハイマー病でも、タウタンパクの研究しかしてないけど、それでもいいかい、それしかテーマがないよ」と。僕は博士号がほしい一心で、何でもやりますということで、簡単な博士論文を書かせていただいたんです。それで、もう臨床に帰りなさい、と言われました。
病院に帰ってみますと、金澤一郎先生が神経内科の主任教授で、ああ君かと。ただ、臨床に中途半端に帰ってもやることがないように思えましたし、かといって井原先生の教室もPhDの方が増えて非常に充実してきて居場所がないように思えました。そこで留学しようと思って、留学したいと言いに行ったんです。そうしたら金澤先生が「あっ丁度良かった、俺も用事があるんだ」とおっしゃるのです。そういう場合には譲らないといけないでしょう。「先生からどうぞ」と言ったら、「薬学部に就職の話が来たんだけれど、どう?」と。
僕はびっくりして、その場では答えられませんでした。研究が一段落したから臨床へ帰りますと決意を決めて、戻った。でも、留学してもう少しやってから研究を去りたいとも思っていたわけです。そうしたところが全く知らない薬学部へ行ってみろと、そこなら研究ができるよっていう話だったんです。僕は薬学なんて知らないので混乱したわけですけれども、落ち着いて考えたら、薬学部の、非常に優秀な学生諸君と研究するチャンスが与えられた。医学生は臨床医になるための勉強が忙しいので、なかなか研究専従になる機会がないんですけど、薬学の学生さんは、病気に興味があってかつフルタイムで研究できるという、非常にいい立ち位置にあるわけです。そういう仲間と一緒に15年くらい過ごしまして、そこでまあズルズル戻れなくなって、その時にはテーマをアルツハイマーに定めていましたので、そのまま突き進んで行ったわけです。だから全くの偶然なんです。
井原先生は、その後アルツハイマーの研究が非常に大きく展開して、認知症学会の理事長にも就かれました。今もアルツハイマー全体を非常に幅広い目で見ながら基礎研究を続けておられます。まあ、こういう師匠のお導きだったのか、それとも偶然が大きかったのか、今では分かりませんけれど。これ本当の話です。