全国の基幹的医療機関に配置されている『ロハス・メディカル』の発行元が、
その経験と人的ネットワークを生かし、科学的根拠のある健康情報を厳選してお届けするサイトです。
情報は大きく8つのカテゴリーに分類され、右上のカテゴリーボタンから、それぞれのページへ移動できます。

脳の仕組みと、その老いを学ぼう

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

※情報は基本的に「ロハス・メディカル」本誌発行時点のものを掲載しております。特に監修者の肩書などは、変わっている可能性があります。

大人が受けたい今どきの保健理科25

吉田のりまき

薬剤師。科学の本の読み聞かせの会「ほんとほんと」主宰

 政府広報によれば、2010年度現在で65歳以上の高齢者の約7人に1人が認知症と推定されています。

 認知症そのものについては、本誌でも2012年から13年にかけて特集していたので、詳しくはそれを参考にしてください。今回は、脳に着目します。

脈略のない記憶

 私たちの脳は成長するにつれ、知識や体験と共に感情を伴った思い出を蓄積していきます。そして必要な時に神経のネットワークを使って蓄積された情報を取り出し、情報同士を組み合わせて物事を考え判断・処理をしていきます。

 脳も細胞の集合体ですから、体と同様に老化します。記憶力が落ち、なかなか覚えられなかったり、すぐに思い出せなかったり、物忘れしたりが増えます。そうなっても長年の経験を活かした判断力や処理力は健在で、人生の先輩としてご高齢の方から教わることがたくさんあります。

 しかし認知症は、老化による正常な物忘れと異なり、記憶していたこと自体を覚えていません。

 また、周囲で起こっている現実を正しく認識できません。自分がなぜ今ここにいるのか、これから何をしようとしていたのか、といったことが全く分からなくなります。映画のフィルムでたとえるならば、ある1コマの画像を見ているだけです。いくつかのコマを断片的に記憶していたとしても、断片を正しくつなぎ合わせられません。

取り繕う脳

 人間の脳には、知識に関わる部分の他に感情を司る部分があります。

 そして知識に関する能力が失われても、感情の方は最後まで健在です。状況がよく分からないながらも、ピンチだ困ったという感情はあります。このため、断片的なコマから、何とか次のコマを考え、早く対処しようとします。機能の低下した脳が、低下したなりに全力を使って辻褄合わせのストーリーを産み出し取り繕うので、周囲の人には到底理解できないような言動となってしまうのです。

 例えばお店のレジで財布がなかった場合、皆さんは何を考えますか? ①財布を忘れたのかも、②財布を落としたのかも、③途中で取られたのかも、④財布がないのだから今日は買うのをやめよう、⑤どうしても欲しいからお店に取り置きをお願いしよう、など、原因や対処方法について、いくつもの考えが自然と湧き出てきます。その考えを自分でまとめ、お店の人と会話し、その場を自然に解決させることができます。「レジで財布がない」というピンチに自分の身が置かれても、周囲の人とコミュニケーションしながら、社会的に許容範囲内の行動をとることができるのです。

 一方、認知症の人の場合は、「財布を出してくださいと言われている」「自分は財布を持っていない」「お店の人が険しい顔だ」ということだけ分かる世界にいます。そして「怒られて嫌だな」「この人は怖い」「早く立ち去りたい」という感情が生まれています。

 何とかこの状況から脱出しようと焦り、少ない記憶の断片つなぎを始めます。例えば、自分は何も悪くないのだから、誰か悪い人がいたなら辻褄が合うことになり、誰かが取ったと言います。あるいは、さっさとお店を出れば怒られなくて済むと考えて、そのまま商品を持ち帰ってしまいます。当人はこれで立派に解決したと思っているので、店を出てから追いかけられ怒られる理由が分かりません。

 お店側からすればたまったものではないでしょうが、このような言動で局所的には辻褄がきちんと合うわけで、人間の脳の底力が垣間見られます。認知症になった脳であっても、壊れていないネットワークを使ってなんとか処理しようと最後まで諦めず、もがいているのです。

脳の機能と老いを学ぶ

 そもそも脳の機能はどうなっているのか、多くの大人は学習する機会がありませんでした。

 脳の研究がだいぶ進んだ現在の義務教育でも学習の機会は少ないままです。中学理科で中枢神経として脳と脊髄を学びます。熱い物を触った時に熱いと感じる前に、手を離すといった反射についての記述が多々ありますが、情動や記憶といった大脳の働きを十分に学習するものではありません。また中学保健の教科書で脳の機能を取り上げていることもありますが、そこに「脳も老いる」という視点はありません。

 いちいち脳の機能のことまで考えて認知症の方に対応するわけにはいかないでしょうが、取り繕いによるおかしな言動は、人間の脳が底力を振り絞って頑張った結果だということを認識していれば、その人の脳は今どのような断片を拾ってきたのだろうかとその人の脳に寄り添うきっかけになり、対応のヒントが生まれてくることもあります。

 そういう意味でも、脳の仕組みや脳の老いについて学ぶことは大切だと思います。

1 |  2 
  • 患者と医療従事者の自律をサポートする医療と健康の院内情報誌 ロハス・メディカル
月別アーカイブ
サイト内検索