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心臓移植 小林未央さん(25歳)
※情報は基本的に「ロハス・メディカル」本誌発行時点のものを掲載しております。特に監修者の肩書などは、変わっている可能性があります。
*このコーナーでは、日本慢性疾患セルフマネジメント協会が行っているワークショップ(WS)を受講した患者さんたちの体験談をご紹介しています。同協会の連絡先は、03-5449-2317
製薬会社に勤務する小林未央さんは、7歳の時に渡米して心臓移植を受けました。命の恩人である主治医をなぜか怖くて仕方ありませんでしたが、WSを経て、問題は自分の中にあったと気づきました。
小林さんには、お兄さんが2人いました。でも二番目のお兄さんは5歳の時、心臓が肥大して十分に働かなくなる拡張型心筋症で亡くなりました。小林さんも、小学校に入学したばかりの6歳で同じ病に襲われました。
最初は咳と吐き気があって、すぐ疲れるという程度でしたが、兄と同じ病院へ行くとすぐ入院となりました。日を追うごとにできることが減って、3カ月経つころには起き上がることすらできなくなります。同じ病棟の他の子供たちが、1つずつできることが多くなって退院していくのに、自分だけ逆で本当につらかったと言います。お母さんは、医師から「海外には心臓移植という治療があるけれど、日本ではできない。今の日本で助かる道はない」と告げられていました。
たまたま担当医が、米国で移植を経験して帰国したばかりの医師の講演を聴きに行き、小林さんについて相談したことから、転機が訪れました。その帰国したての医師が主治医となって、米国で移植手術をしようと言ってくれたのです。
まだ渡航移植が極めて珍しい時代でしたので様々に障害はありましたが、多くの人が力を貸してくれて、極めて速やかに事が運びました。ただ、既に肥大した心臓が他の臓器を圧迫しており、米国に着いた時には何日持つだろうかという状態でした。
これでは移植したとしても回復するとは限らない、と移植待機リストから外されそうになるのを、日本から付いて行った主治医が「必ず回復する」と強く主張してリストに入れてもらえたのでした。そして、リストに入っても移植まで3カ月待つのが平均で、その間に亡くなる人も多い中、小林さんには3日後という奇跡的な速さで提供者が現れました。「あと6時間遅かったらダメだったろう」と言われたそうです。
こうして一命を取り留めた小林さんは、米国に7カ月滞在して帰国しました。日本での入院と合わせて丸々1年、登校していませんでしたが、学校側の配慮で2年生に上がれました。入院中に手紙をくれた子たちと一緒で、とてもうれしかったと言います。
生きる意味探した学生時代
以後は、免疫抑制剤を飲んでいるので感染の危険が高い人ごみを避ける程度のことには気をつけましたが、体育の授業も受けるなど、体力がないなりに友達も大勢いる学校生活を楽しく送っていました。
ところが高校生の時にショッキングなことが起きます。担任の先生がわざわざ家まで来て、「何かあったら困るから」持久走に参加してはダメだと告げました。友達も掛け合ってくれましたが、学校の態度は頑なでした。
思春期とも重なって、そのころから自分が移植を受けていること、背後に提供者の死を背負っていること、そこまでして自分に生きている意味はあるのか、といったことに色々と悩むようになりました。
自分を否定する考えしか浮かんでこない中、生きる意味を切望して大学で心理学を学ぶことにしました。そこで、グリーフケア(誰かが亡くなったあと遺族の悲しみを支えること)に取り組んでいる先生と出会い、その研究室に入れてもらって卒論に自分の移植体験を書きました。その時になって初めて、きちんと自分の過去と向き合い、自分が生きていることに前向きな気持ちになれたと言います。
大学で学んでみて、自分がそこまで自己否定的な気持ちになって生きづらくなったのは、そのように感じさせる環境があるからだと気づいたと言います。臓器提供者の家族と話をしてみて、無償の善意の行為なのに、心ない言葉をかけられることも多いと知り、移植がきちんと理解されていないと強く感じました。自分で何か橋渡しができたらと考え、就職先として移植医療に積極的に取り組んでいる製薬会社を選びました。
理解できないので受けてみた
会社での現在の仕事は、様々な患者会のニーズを把握して、もし支援できることがあればするということです。毎日、患者会のホームページをいくつも覗くのが日課となりました。たまたま重症筋無力症のサイトにセルフマネジメントWSの告知が出ていました。
良いものであれば他の患者さんたちにも紹介しよう、と興味を持って、セルフマネジメント協会のサイトを見ましたが、内容がよく理解できませんでした。説明会にも参加してみましたが、それでもやっぱり分かりませんでした。ちょうど自分自身、通院も服薬も窮屈に感じてイヤで仕方ない、移植以来ずっと診てもらっている主治医が怖い、という密かな悩みを抱えていたので、とりあえず受けてみることにしました。
正直、様々な疾患の人たちが集まるので、話が合うかな、暗い会になるんじゃないかなという心配もあったそうです。しかし参加してみると、参加者はみな前向きで、そして疾患は違えども共通する悩みが多いんだと気づかされました。逆に、疾患が異なる分、様々なものの見方や知恵があることも分かりました。
毎週1つずつの簡単なアクションプランを実行するだけで、自分でもびっくりするほど体調が良くなりました。他の参加者とも成果を共有し、そして知恵を出し合ううちに、自分自身が言語化していなかった本当の気持ち、主治医を怖かった本当の原因に一つずつ気づかされていったと言います。
今になってみれば、主治医をはじめとする医療者が、自分を1人の人間としてでなく、患者としてだけ見ているのがイヤでした。でも、それを真正面から伝えると、自己管理を問われることになりかねないので、表面的にはもの分かりの良い患者を演じ、蔭で不平を言っていました。
自分で少し気をつけるだけで、体調が変わるということに大変な感動を覚えて、またそれを他の参加者と共有できることが嬉しくて、6週間は、あっという間に過ぎました。最終日には。もう終わっちゃうのかと悲しく思い、それから半年ぐらいは、体調の良さと自己管理とが持続しました。
今、ふと気づくと、日々忙しいのと、何かしても報告する相手がいないのとで、段々と自己管理が疎かになっています。でも、体調が悪くても、その原因は自分自身にあると分かっているし、主治医を怖いとも思いません。
ワンポイントアドバイス(近藤房恵・米サミュエルメリット大学准教授) 慢性の病気を持って生きていると様々なチャレンジに直面します。そういうときに役立つのが「問題解決法」です。問題解決法のステップは、まず問題が何であるかを明らかにし、その解決策を考えます。考え付いた案の中から、まずひとつの方法を選んで試しみます。うまくいけばそれでOK。でも、うまくいかなかった場合には、そこであきらめずに別の方法を試してみます。自分で考えられる方法をすべて試してみたら、今度は周りの人に解決案を考えてもらう。そして、またひとつずつ試してみます。それでもうまくいかなかった時には、今は、この問題は解決できないこととして受け入れ、別の時に改めて問題に取り組んでみることです。