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神永久雄さん 81歳(05年にペースメーカー)

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※情報は基本的に「ロハス・メディカル」本誌発行時点のものを掲載しております。特に監修者の肩書などは、変わっている可能性があります。

 神永久雄さんは、2年前にペースメーカーを埋め込みました。睡眠中に心臓が15秒近く止まる、そんな不整脈が偶然見つかったからです。乗り物の運転が趣味という神永さん、起きている時なら5秒心臓が止まるだけでも失神し惨事となりかねませんでした。kiki001.jpg

(写真上)新車で買ったセドリック、大事に乗り続けたら、50年近く経ってもまだ立派に走ります。会社の近所の仙台東照宮まで乗せて行っていただきました。(写真左下)会社の応接室に並ぶ、若き日の雄姿。

 神永さんは、仙台市で奥さん、ご長男の家族と一緒に暮らしています。81歳の今も、不動産会社と割烹料理店の現役経営者。写真でもお分かりのように、ガッチリした体とツヤツヤした顔で、いつもニコニコしています。
 実は、柔道の元日本王者で東京五輪無差別級代表だった故神永昭夫さんのお兄様。9人兄弟の長男で、昭夫さんは4番目だそうです。ご本人も非常に活動的で、5年前までは、趣味で飛行機の操縦をしていましたし、車やバイクは今も日常的に乗っています。畑仕事も欠かしません。
 こんなに元気な神永さんに不整脈が見つかったのは、05年秋のこと。車の運転中に「目が悪くなったかな」と感じ、大型2種免許の書き換えに備えて近所の眼科を受診したところ、糖尿病と診断され、東北労災病院に教育入院することになりました。そこで、寝ている時に心臓が長時間止まっていると分かったのです。自覚症状は皆無でしたので、見つかったのは幸運な偶然でした。
 ちなみに不整脈とは、心臓の筋肉に「伸びろ」「縮め」という命令を伝える電気信号が、出なかったり、弱かったり、経路の途中で止まったりすることによって、鼓動を規則正しく打てない状態のこと。心臓の止まっている時間が長いと、最も血液不足に弱い脳が酸欠を起こして危険です。
 その足りない電気信号を機械的に補ってくれるのがペースメーカー。大きさは500円硬貨より一回り大きい程度で、患者さんの前側鎖骨下あたりに埋め込むのが一般的です。そこから血管の中に導線を心臓まで通します。手術は局所麻酔下で1時間程度。いったん体内に入ると、患者さんの体温や脈拍などを常に感知して、必要に応じて電気信号の出し方を変えてくれる賢い機械です。
 話は戻りまして神永さん。即断即決でペースメーカー埋め込み手術を受けたと言います。なぜそんなに思い切りがよいかはさておき、手術の結果、「毎年悩まされたアカギレもカカトのひび割れもなくなりました。循環が良くなったんですな」
 ただし、機械が腕の神経に触れているらしく、左の指先に少し痺れがあるため、電池交換の際に調整してもらうことになっています。電池交換までの時間は、個人差はありますが埋め込みから5~7年ほどです。

死線をくぐる

 取材中ずっとニコニコしていた神永さんが、しんみりした口調になりました。「一番頑健だった弟(昭夫さん)が早く死んじゃってね、私なんかがこうして元気で。戦友たちも、どんどんいなくなっちゃってさ。よく生きてきたと思うよね」
 聞けば神永さん、若い頃に2度、死を覚悟しています。
 16歳、旧制中学2年の時に「配属将校に志願させられて」陸軍へ入り、少年飛行兵として航空輸送部隊に配属されます。内地の軍用機を中国などの前線まで乗って届ける役目です。
 やがて戦況は悪化、ある日、対馬海峡上空で搭乗機が撃墜されてしまいました。不幸中の幸いに、撃沈された貨物船の積み荷と思われる醤油樽が海上に浮いていたため、それをイカダ代わりに漂流。3日目に朝鮮半島・木浦の貨物船に発見されました。「あと1日漂ってたら、寒さで死んでた」
 ホっとしたのも束の間、特攻隊への転身を命じられます。宮崎県の新田原で出撃命令を待っていたところ、早朝に突如米軍艦載機が現れ飛行場にあった機をすべて破壊したため、出撃できなくなり、輸送部隊へ戻ることができました。
 このように不幸中の幸いを重ねて台湾で終戦を迎え、復員・復学。卒業後は仙台市の職員となりました。といっても今の市職員とはだいぶイメージが違います。復興期ですから、出向して放送局を立ち上げたり、ブルドーザーなどの重機販売会社を立ち上げたり。重機販売会社は、折からの宅地開発ブームに当たって急拡大、そのまま市に戻ることなく独立して現在に至ります。
 戦後の歩みは順調そのもの。でも神永さんの背筋には、死を覚悟した日々の記憶が張りついています。過去には従軍体験を生かして、航空自衛隊の創設に協力したり、陸上自衛隊のオピニオンリーダー(ご意見番)を務めたりもしてきました。
 思い切りがよく手術を怖がらないのは、その半生も影響しているのでしょう。ただし、ペースメーカーに限って言えば、あまりにも一般の人が特別視しすぎていると感じるそうです。最近、一番下の弟さんもペースメーカーを入れました。
「怖がってたから、俺を見ろと言ってやった」
 ニコニコ顔に戻りました。

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