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メディアの情報 どこまで正しい?
※情報は基本的に「ロハス・メディカル」本誌発行時点のものを掲載しております。特に監修者の肩書などは、変わっている可能性があります。
医療者とメディア 世界の見え方が違う
もう少しメディアの実像をご紹介します。まず、世の中の見え方の問題です。
意外かもしれませんが、医療者をはじめとする科学者は「自然法則、自然の摂理は変えられない。その枠内で努力するしかない」ことを知っています。一方で、科学的素地のない人は「科学が進歩すれば自然の摂理すら何とかできる」と考えている節があります。
そして、後者のような考え方をする人が、法律家や行政、マスメディアに多く存在しているようです。現在のマスメディアは、主たる取材先が行政や法律家なので、互いに補強し合って考え方がどんどん純化されます。
その考え方では、何とかできるはずのものをできないのは、やらない誰かが悪い、糾弾しなければということになります。このためメディアは、何か悪いことが起きると、すぐ誰に責任があるのかの追及を始めます。しかし、誰がやってもできないものを、やらないのはお前が悪いと言われる現場の人はたまりません。
手を尽くしたか否かにかかわらず結果が悪ければ、関与したというだけで責任追及されてしまうため、身を守るには関与しないに限るというモラルハザードを生む原因であり、医療崩壊の原因でもあります。そしてこのことは、医療だけに限った話ではなく、教育をはじめ建築、交通など様々な分野で大問題になっています。
パっと見て良さそうな話でも、それは本当に可能なことなのか、自然の摂理に逆らうようなことではないのか、と報道を見た際に立ち止まる習慣を付けたいものです。
声を上げない人は出てこない
メディアに出てくる情報は、何かを広めたい誰かの発信したことか、メディア内部の人が広めたいことのどちらかです。そして「広めたい」のは、ほとんどの場合、その人たちにとって何か好ましい状況が期待されるからです。
前項のたとえ話で、エベレスト登山のベテランDさんが存在したとしても、Dさんが何も話をしなければ、Cさんも話すことはできません。逆に、Cさんが無視すれば、多くの人はDさんの存在を知らないままに終わるでしょう。メディアに出てくる情報は世の中のほんの一部分でしかないのです。そして歴史が教えるのは、往々にして、報じられないものの中にこそ重大なものが隠れているということです。
報じられている情報に関して、一体誰が何の目的を持って言ったことなのか、もしくはメディアは何を狙っているのか吟味せず無条件で受け入れるのは危険です。不審な点があれば、情報の原典に当たるというのは鉄則で、一次情報まで遡れないようなものは怪しいと考えておいた方がよいでしょう。
この判定法を試すと、現在の報道がどれほど「怪しい」か、ビックリするはずです。
「正しく伝える」が最終目的でない
最後に。誰もが分かっているはずなのに、意外と意識されていないのが、メディアも基本的には営利企業だということです。報道も商業行為の中に組み込まれています。
メディア自身の商行為にマイナスとなる情報を報じることは考えられません。それ以外の情報についても、世の中の幹を正しく伝えることに対して社会が評価したり対価を支払ったりしなければ、評価され対価の支払われやすい別の評価基準を優先する方向にメディアが流れるのを止めることはできません。
現代社会に起きているのは、「面白い」とか「刺激的」という評価基準への傾斜です。それは、世の中の真の姿から、多くの人の目を背けさせる効果もありそうです。
「自然の摂理」と向き合わざるを得ない医療と、この評価基準が非常に相性の悪いものであることは理解いただけるのではないでしょうか。
メディアの特性や限界を知り、出ている情報だけを鵜呑みにするのでなく、出ていない情報に思いをはせ、実像をできるだけ正しく復元しようとしていただけると幸いです。私たちも、微力ながら、そのお手伝いをしていきたいと考えています。